ミス白鳳物語
「ミス白鳳物語」
天武天皇14(685)年、飛鳥の山田寺で、美しい薬師如来の開眼供養(かいげんくよう=新しい仏像・仏画に眼を描き入れ、仏の魂を迎え入れること)が行われました。
山田寺を建立し、大化の改新で活躍したのち、讒言(ざんげん=人をおとしめるため、事実を曲げて言うこと)により、その山田寺で一族もろとも自殺した蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の追福を祈って鋳造された(聖徳太子の伝記『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)裏書』による)この像は、おおらかさと鋭さを兼ね備えた典型的な白鳳仏(はくおうぶつ)でした。
山田寺を建立し、大化の改新で活躍したのち、讒言(ざんげん=人をおとしめるため、事実を曲げて言うこと)により、その山田寺で一族もろとも自殺した蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の追福を祈って鋳造された(聖徳太子の伝記『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)裏書』による)この像は、おおらかさと鋭さを兼ね備えた典型的な白鳳仏(はくおうぶつ)でした。

美しい女性?は、平凡な一生を送れないようです。500年後、彼女の人生に最初の波乱がおきます。治承4(1180)年の兵火で焼失し、5年後に再建された興福寺の東金堂(こんどう)の本尊にと所望され、お付きの菩薩とともに堂衆(どうしゅう=雑役をつとめた下級の僧)により強奪されたのです。(九条兼実の日記『玉葉(ぎょくよう)』による)
そしてさらに200年後の応永18(1411)年、興福寺の五重塔が雷火にあったときの類焼で、東金堂も焼失したとき、彼女は体を失い、頭部だけが現本尊の台座の下に安置されました。(台座内部の墨書による)
それからまたまた500年後の昭和12(1937)年、東金堂を解体修理した際、彼女は発見され、再びあでやかな微笑みを人びとに投げかけることになりました。
それから70年余り、彼女は今、興福寺宝物館で、他の多くの国宝級の彫像を圧倒しています。頭部だけ、それも左耳と頭頂部を失っているのに、その美しさは、今も輝くばかりです。
彼女に首っ丈の私は、毎年のように興福寺を訪れます。
コメント
はじめまして。
最近見させていただいているのですが、ふと疑問に思いました。
蘇我倉山田石川麻呂のことを「女性」と表現してるのはどういうことでしょうか?
投稿者: n.t 2010-05-12 23:01:54
コメント、ありがとうございます。女性にしてしまったのは、白鳳仏のほうです。もちろん仏様に性別はありませんから、「?」マークをそえました。
投稿者: ハム先生 2010-05-14 08:27:55
返信ありがとうございました。
この白鳳仏についてちょっと勘違いしていました(汗
でも解決できたのでよかったです。
これからの日記もも楽しみにしています。
投稿者: n.t 2010-05-16 13:37:35