「自転車、事始め」
今日も、スピードをゆるめずに角を曲がってきた自転車に体当たりされそうになりました。実際、毎日のように、自転車の暴走や信号無視で危険な目に会いますし、めちゃくちゃな駐輪で迷惑しています。でも、本来自転車は、クリーンでヘルシーな乗り物ですし、マナーをわきまえた利用者がたくさんいることを考えて、今回は自転車に関するちょっといい話を取り上げることにしました。題して『自転車、事始め』、副題は「寅次郎(とらじろう)の夢」です。
1870(明治3)年4月29日、東京は南八丁堀五丁目在住の寅次郎なる人物から、東京府に「『自転車』を製造・販売したいので、許可をいただきたい」という願書が出されました。すでに幕末には大きな前輪を直接ペタルでこぐフランスのミショー型(=イギリスのボーン・シェイカー型)自転車が日本に伝わり、「ボーン・シェイカー」の方の直訳=「骨ゆすり」と呼ばれていましたが、寅さんは、早くも“国産車”を作ろうと張りきったようです。
この寅次郎氏、神奈川県出身の彫刻職人だった程度のことしか、分かりませんが、「自転車」という用語を最初に使った人という名誉を獲得しました。そして、寅さんの作ろうとしたのは、ラントン型に近い三輪自転車で、一人乗りと二人乗りの2種類だったことが願書からうかがえます。
驚いたのは、東京府の担当係官が、すぐ実際に自転車を使ってテストし、「安全などに多少の懸念はあるが、許可してもよいのではないか。」という意見を上申、早くも同年5月12日に許可を下したことです。しかも、すぐさま「自転車の製造・販売・利用などに関する取締り規則」の検討に入り、7月14日に制定いたしました。このスピーディな対応は、何かと話題になるお役所仕事とは到底思えません。
寅さんの自転車は、「売捌数多(うりさばき、あまた)=たくさん売れた」と本人が書き残していますが、彼はその後、儲けを全部吐き出すような企画に没頭します。それは、自転車の“大型化”と“営業化”への取り組みです。
数年の努力の結果、寅さんは、1877(明治10)年末、ついに運転手2名、乗客4名乗りの大型自転車(本体4輪、リアカー2輪)を完成し、翌年4月に再び東京府から製造・販売の許可を得ました。そして、1879(明治12)年2月、彼は東京~高崎間110kmで試運転をしました。記録によれば、このとき、東京出発は第一日目の午前2時、吹上(埼玉県東部の町)に午後7時に着いて、一泊。翌朝3時30分に出発して、午後5時30分高崎に到着したようです。
総所要時間:38時間40分、実際の走行時間に限っても17時間25分かかっています。
一方、寅さんがライバルと考えた「乗り合い馬車」は、東京~高崎を12時間で結んでいます。早朝、東京を出て、夕刻には高崎到着という速さでした。これでは、乗り合い馬車の料金、一里(約4km)あたり4銭のところ、自転車は3銭にしても勝負になりません…。
寅さんは、ロマンチストとしても一流だったに違いありません。
【参考文献】 「くるまたちの社会史」(斎藤俊彦著・中公新書)
「走るクスリ 自転車の事典」(岸本 孝著・株式会社文園社)
コメント