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「神風」は、一度しか吹かなかった!


 『歴史を変えた気候大変動』(B.フェイガン:著 東郷えりか・桃井緑美子:訳 河出書房新社)は、読み終わりそうな今、THE LITTLE ACE AGE :HOW CLIMATE MADE HISTORY 1300-1850”という原題は、直訳した方がよかったのでは…、思うことしきりです。初めから終わりまで、小氷河期の歴史、特に食料事情のことを克明に扱っているのですから。
…今回は、最初から脱線ぎみですね。

 本筋に戻して、同書で扱う時代の最初のころに位置する「元寇」のことを、以前に文章にしたことがありました。やはり、気象と結びつけましたが。

 いわゆる「元寇」は二度あり、三度目は中止となりました。
 最初のものは、起こった1274年の和年号に因んで『文永の役』といいます。この年の正月、元の皇帝フビライ・ハンは、日本征討のための軍船900艘の建造を高麗に命じました。そして同年10月、元・高麗連合軍2万6千は、慶尚南道の合蒲(がっぽ、今の馬山)を出発、対馬・壱岐を侵して、10月20日、博多湾西部に押し寄せました。『八幡愚童訓』によれば、上陸した元軍の毒矢、集団戦法、「てつはう」なる火器などが威力を発揮した…とありますが、日本軍の抵抗もあって、元軍はその日のうちに船に戻り、翌21日博多湾から姿を消しました。高麗に撤退途中、嵐に会って壊滅したらしいというのが、最近の定説です。

 二度目の元寇が、1281年に起こった『弘安の役』です。このときの元軍は、二つの軍で編成されていました。そのうち、東路軍は、モンゴルと漢兵3万人、高麗兵1万人、軍船900艘、江南軍は、南宋の降兵10万人、軍船3,500艘という大軍でした。
 5月3日、東路軍が先陣をきって出撃、21日に対馬を襲い、壱岐を経て、6月6日に博多湾に進み、志賀島に拠点を築いて壱岐に退きましたが、その壱岐で日本軍の激しい攻撃を受けます。そのころ江南軍は、平戸や五島列島で行動中でしたが、7月に入ると両軍は、鷹島(現:長崎県北松浦軍鷹島町)に終結し、博多湾への侵入をはかります。そして閏7月1日、暴風雨に会い、ひどい打撃を受けました。
 周知のとおり、その後、「二度の元寇は、どちらも暴風雨が、日本に幸いした、あれは神国日本を守る“神風”である。」という考え方が広まりました。日本を襲う暴風雨といえば、誰でも台風を思い浮かべます。本当に二度ともそうだったのでしょうか?

 上の説明に登場する月日は、すべて【陰暦】が使われています。もちろん今の何月何日にあたるか、正式に計算できますが、少し横着して、今年2009年の暦で調べてみると、弘安の役で元軍が嵐で壊滅した閏7月1日の前の日は、今年は9月18日にあたり、台風シーズン真っ只中です。ところが文永の役で、元軍が嵐の被害を受けたかも知れないのは、10月20日(今年は12月6日)よりさらに後のことで、台風はまず来ない時期です。
 そこで、本ブログのタイトルのように、「神風は一度しか吹かなかった」と言いたいわけですが、最近、神風=台風…と決め付けるのは、少し乱暴かなと思い始めました。冒頭の『歴史を変えた気候大変動』を読んだおかげです。 

 今では、 「文永の役(12月)で暴風雨の被害に会った元軍が、なぜまた、もっと暴風雨が起こる可能性が高い台風シーズン(9月)に再来襲したか?」ということの方が、気になります。東シナ海沿岸では、この時期に台風が出現するのは分かっているでしょうに…。

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コメント

めっちゃタメになります!!!!!
ハム太郎とか好きですか?

深夜のコメントありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。

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【ハム先生】
過去には中学校、現在では都内・某私立高校と某女子大学で教鞭をとる。趣味も「日本史」「世界史」…? 歴史・文化・芸術…等々のジャンルで執筆していくよ!

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