「貧乏少尉、やりくり中尉、やっとこ大尉!」
以前読んだ「50年目の『日本陸軍』入門」(歴史探検隊 文春文庫)は面白い本でした。今回の話と関係の深い内容を少し、紹介しましょう。
陸軍の組織で、独立して作戦を遂行できる大きな単位が師団(約10,000人規模)、師団の中に数個連隊(約2,000人)あり、各連隊の中に数個大隊(約800人)あります。以下同様に中隊(約200人)、小隊(約50人)、分隊(約16人)とつづきます。そして、それぞれを率いる人の「位階」も決まっていました。
師団長は中将クラス、連隊長で大佐クラス、以下、大隊長が少佐、中隊長が大尉・中尉、小隊長が少尉です。分隊長でやっと下士官の軍曹が登場します。
最高位の大将が出てきませんね。大将ともなると、師団の上の「軍」のそのまた上、「方面軍」の司令官にやっと顔を出します。尉官以上の将校は、士官学校以上の専門的な軍人教育を受けており、さらに佐官以上、陸軍大学を卒業していなければなれません。徹底した学歴社会だったようです。
同書には、昭和20(1945)年の給料も載っていました。月額に直して書き出すと、大将550円、大佐370円、大尉155円、中尉94円、少尉70円、軍曹23~30円、二等兵6円か9円です。これらの金額が今のいくら位にあたるか、これは簡単に換算できないことです。ただ、明治以来の軍人のサラリーの変遷をたどると少し実感がわくと思います。
陸軍大将が“西郷隆盛”だけだった明治初年、彼の月給は400円でした。そのころ、米1升(だいたい15~16食分)が4銭だったことを頼りに、彼の月給が今ならいくらにあたるか考察してみましょう。
最近、お米はキロ単位で買いますが、5キロで2000~3000円だそうです。5キロは3.6升にあたるので1升は、約555~833円。すこし高い方をとって、1升=700円としますと、それが4銭(1円の25分の1)なのですから、700×25×400=7,000,000 というわけで、月額約700万円です。
日本がモデルにしたヨーロッパの陸軍の将校には、貴族出身者も多く、上流階級の雰囲気が漂っていました。そこで、日本でも給料をはずんで、それなりに対面を保たせようとしたらしいのです。もちろん軍の上層部の話です。だから、同じ時期、将校最下級の少尉の月給は、22円(今の385,000円位か)とかなり低額で、二等卒にいたっては、わずか1円27銭8厘(同22,365円)しかありませんでした。
その後、明治23(1890)年、陸軍給与令が改正されて、大将500円、少尉28円、となりましたが、それから20年も給料はすえおきになりました。その間にインフレもすすみ、下級将校の生活を圧迫しました。このブログのタイトル「貧乏少尉……」は、そのころ流行った表現です。
明治43(1910)年、給与令は再改正され、大将625円、少尉40円となり、大正9(1920)年には、大将すえおき、少尉78円と両者の差はいくらか縮まりました。ところが、昭和4(1929)年に官吏の減俸が実施され、冒頭の昭和20(1945)年の金額になりました。
大将と少尉の月給を比較しながら、話を進めてまいりましたが、いつの時代でも、戦いで命を落とす可能性が一番高い二等兵の給料の低さには、胸が痛くなります。
コメント