「日本のハイデルブルク」
東北地方最大の都市、「杜(もり)の都」仙台は、戦前からタイトルのように呼ばれてきました。伝統ある学校教育のせいですが、中でも有名なのが、1886年創立の旧制第二高等学校の存在でした。
この話、本家の「ハイデルブルク」の方から始めましょう。ドイツの南西部、ネッカー川の流れる古都・ハイデルブルクは、この国最古の大学のあるところとして有名です。
そのハイデルブルク大学は、パリ大学をモデルにして、1380年に作られた総合大学で、アメリカ合衆国にも敬愛する人が多く、今でもアメリカの医学生がよよく留学するといいます。
この大学の施設で傑作なのが、「学生牢獄」です。以前は、悪さをした学生が自治会の裁判で有罪になると入牢させられたといいます。もっとも、残された落書きなどを見ると、罪人の方も入牢を名誉と考えてたふしがありますが。
ハイデルブルクのもう一つの目玉は、雰囲気満点の「ハイデルブルク城」です。ファルツ選帝侯の宮殿として建設され、1689年のフランス軍の攻撃で破壊されたままの状態で、今も残されています。
この城に、とてつもなく大きいワイン樽があります。城兵のための貯蔵施設だそうですが、10組のペアがその上で、同時にダンスできるほどの大きさです。 見学者が特別料金を払うと、特別なワイン入りのグラスをもらえました。私が二度目にここを訪問したのは、割れてしまった初代のグラスの替わりを手に入れるためでした。
さて、わが仙台、特に旧制二高の話に移りましょう。
かつての複線型の学校制度のもとで高校は、旧制帝国大学に進学するエリートの教育をになっていました。とくに二高は、ドイツのギムナジューム流の高度な教育内容を誇り、東京以外の帝大であれば“無試験で入学できる”という特典もあって、全国から秀才が集まり、白線二本の学帽は、あこがれの的だったといいます。
将来を約束された二高生は学園生活を謳歌し、周囲もそれを暖かく見守りました。彼らは蓬髪に弊衣破帽、黒マントのスタイルを好み、町にストーム(※)をかけて市電を止めたり、お店の看板を取り替えたりしましたが、地元では“憎まれることはなかった”といいます。
以前、「ドイツ その魅力と背景」(早川東三・著 日本出版協会)という本に旧制高校生とハイデルブルクを結びつける話が載ってました。
旧制高校生は酔っ払うと、
♪「ハイデルブルクの城の中に、一寸法師のぺルケオ殿が住んでいた。身は小さくてチビッコなれど、飲むにかけては大男」♪
という他愛ない歌を、がなりたてたそうなのです。ペルケオ殿は、あの大樽のワインを一人で飲み干したという逸話もあります。
どれもこれも、古き良き時代の話ですね。
【補足】
※「ストーム」とは…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E5%AD%A6%E7%94%9F%E7%94%9F%E6%B4%BB)
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