行基は死して、地図残す
先日、封切り間もない「劔岳(つるぎだけ)― 点の記」 (東映作品、原作:新田次郎、監督:木村大作)を見ました。
昔、一般ルートからではありますが、私も山頂をきわめたことがあったので、今も長次郎谷(ちょうじろうだん)にその名を残す案内人・長次郎らの活躍や劔(つるぎ)の険阻で雄大な自然を心ゆくまで楽しむことができました。
この映画の最大のモチーフは、明治末期まだ未踏峰と思われていたこの山の山頂への一番乗りをどのグループが果たすかにありましたが、私がより興味をもったのは、陸軍陸地測量部隊が登頂ばかりをねらわず、三角点の設置や周辺の測量にも力を注いでいたことでした。今回は「劔岳」鑑賞を記念して、ちょっとユニークな地図のことを取り上げてみましょう。
古地図を漁(あさ)っていると、ほとんど陸地の輪郭と昔の国の境界くらいしか描かれていない、少しいびつな日本全図に出会うことがあります。柔らかいおモチのような相模国(さがみのくに)や甲斐国(かいのくに)が くっつきあって日本列島をなしているもので、『行基図(ぎょうきず)』と呼ばれています。
この行基(668~749)は、奈良時代前期に民間の仏教信仰に大きな影響力をもった人物です。「妄(みだ)りに罪福を説き、百姓(ひゃくせい)を妖感(ようかん)した」として村里での乞食(こつじき)伝道を禁じられても、多くの人びとが彼に従い、諸国に橋や堤を築いたそうで、皆から「行基菩薩(ぼさつ)」とまで呼ばれたようです。朝廷もついには、大仏建立に際しては、勧進(かんじん=資金集め)や労働者の確保に彼の力を借り、聖武天皇は、彼に“大僧正(だいそうじょう)”という僧としての最高位を与えています。
この行基は、日本で最初の全国図を作ったことでも有名です。残念ながら、それは現存しませんが、行基の地図を原型としたものが、平安初期から江戸時代にいたるまで、何度も書写されました。それが、「行基図」です。なにしろ800年にわたって、繰り返し作られてきましたから、しだいにデフォルメされ、楽しい作品となりました。だから、行基図を見るたびに私は、日本人にもユーモアのセンスがあるものだなあと感じ入ります。
では今の時代、行基図はその役割を終えたのでしょうか? いえいえ、そんなことはありません。例えば、各社が出版する(鉄道の)時刻表を開いてみてください。各鉄道路線の記載ページを示した全国図、あれこそ、“最新版の行基図”だと、私には思えてなりません。
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