「ジャガイモ、大好き!」
私が、中学生だったときのある時期、弁当のおかずが、連日「ジャガイモの天ぷら(正式には、精進揚げというのでしょうか?)」だったことがあります。
ふたをとると、母親がわざわざその日の朝に揚げてくれた天ぷらが全面を覆っており、それぞれにお醤油がたらしてありました。中央の天ぷらの下には、必ず梅干が埋まっておりました。
こんな思い出があるのに、いや、あるからでしょうか、私は今もって、ジャガイモが大好きです。
そんなジャガイモが、深く関わる旅行を20年余り前にしたことがあります。
ドイツの友人たちとやったアイルランド共和国一周のドライブがそれです。参加者のうちのお一人は、「バンダームッター(私の考え出した独語)」=ハイキングマザー、「バンダーゾーン(同前)」=ハイキング息子と呼び合った女性でした。
ドイツは、名にし負う“ジャガイモ大国”。啓蒙専制君主であった大王フリードリッヒ二世(1712~86年)が、栽培を普及させたことで有名ですが、それ以上に初期には豚のエサだったジャガイモが、豚の加工品であるソーセージやハム(私のペンネームです。)と最高の組み合わせになったことが、私には、たまらなく面白いのです。
10数回訪れたドイツでは毎回「ブルスト」+「ジャガイモ」をつまみながら、ドイツビールを飲むというぜいたくをいたしました。
(ブルスト…ソーセージの一種)
…で、アイルランドの方です。彼の国は、ジャガイモの栽培で、人口増がおこり、ジャガイモ飢饉で、地獄をみた国です。
クロムエル革命以後、激しいイギリスの支配を受けたアイルランドは、耕地の3分の2で収穫した穀物は、すべてイギリスに差出し、残りの3分の1の劣悪な土地で栽培したジャガイモで食いつないでいました。でも、「貧者のパン」であったジャガイモのおかげで、人口まで増えたといいます。
そのジャガイモが、連作と疫病が原因で、ひどい不作になりました。1845~48年のことです。1851年、本当なら900万人を超える可能性のあった人口が650万に留まったのです。目減りした250万人のうち100万人は、アメリカ合衆国などに移民として脱出しました。
ダブリンの町で、大学生が案内するツアーに参加して、「このジャガイモ飢饉が、単なる不作だけでなく、国際的な流通機構の問題点が、被害を倍加させた。」という説明を受けたことが、最近やたらと思い出されます。
参考文献;「ジャガイモのきた道」(山本紀夫 岩波新書)、
「ジャガイモの世界史」(伊藤章治 中央公論社)
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