これはもう、藪(やぶ)の中だ!
「これはもう、藪(やぶ)の中だ!」
―― これは、ひところ、仲間同士の会話によく登場した表現です。
“いくつかの意見が出たり”、もっと言えば、“証言がなされても、食い違いがあって
本当のところ何が起こったのか分からない”ときに、使いました。当時の仲間がその言い方で分かりあえたのは、みんな芥川龍之介の同名の作品『藪の中』を読んでいたからです。
―― これは、ひところ、仲間同士の会話によく登場した表現です。
“いくつかの意見が出たり”、もっと言えば、“証言がなされても、食い違いがあって
本当のところ何が起こったのか分からない”ときに、使いました。当時の仲間がその言い方で分かりあえたのは、みんな芥川龍之介の同名の作品『藪の中』を読んでいたからです。
小説『藪の中』は、大正10(1921)年に書かれ、翌年1月、雑誌「新潮」に発表された短編です。今も、いくつかの出版社の文庫本などで読むことができます。
平安の昔、山科(やましな)の駅路(えきろ)近くの竹藪の中から、若い侍の死体が発見されます。物語は、この事件の真相にせまるべく、展開します。と言っても、何人かの人物が登場して、供述や告白をするだけです。
まず、検非違使(けびいし;9世紀に置かれた令外の官、京都の治安維持を役目としていた)の尋問に対し、木樵(きこり)、旅法師、放免(ほうめん:流刑などの罰を免除されたかわりに、検非違使庁のために働く下司)、おうな(:死んだ侍に同行していた妻の母親)が、証言します。彼らは、違う面から情報を寄せており、内容に矛盾はありません。
ついで、有名な盗人(ぬすっと)である多襄丸(たじゅうまる)の自白、清水寺に辿り着いた女(:実は死んだ侍の妻)の懺悔…と続き、最後には、侍の死霊(しりょう)までが巫女の口を借りて告白しますが、それらは、全く食い違っています。
多襄丸「あの男を殺したのは俺だ。……はじめ夫婦をだまそうとしたが、ある瞬間から、女を自分のものにしたいという激しい気持になった。……女は、『あなたか、夫かどちらか死んでほしい。二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりつらい。』とも言った。そこで、俺はその男にも太刀を与えて、堂々と戦った。俺は23合(ごう)も切り結んで、やっとあの男を倒したのだ。」
女の懺悔「木に縛られた夫の前で、私は盗人の暴行を受けました。そして、私は夫の無念さを思い、転ぶように夫のそばに走り寄りました。そのとき見たのです、夫の目にひらめいた、私に対する蔑みの冷たい光を。……気絶からよみがえった私は、夫に『では、お命を頂かせてください。私もお供します。』といい、夢うつつのうちに小刀を夫の胸に突き刺しました。……その後、残念なことに、私は、どうしても死にきれませんでした。」
男の死霊「暴行のあと、盗人は、いろいろと妻をなぐさめだした。……そして『この先、夫との仲も折り合うまい。どうだ、俺の妻になる気はないか。』などなど。……妻は、言った。『では、どこへでも連れて行ってください。……でも、その前にあの人を殺してください。』……私は気がつくと、妻が落としていった小刀を手にとり、一突きに自分の胸に突き刺した。……誰かがそっと胸の小刀を抜いた。」
(以上の会話は、新潮文庫版『藪の中』の文を要約したものです。)
(以上の会話は、新潮文庫版『藪の中』の文を要約したものです。)
なんと作者は、三人の話の矛盾に対し、何のコメントもせずに筆を置きます。
この話の原型は、今昔物語巻29の第23話『妻(め)を具(ぐ)して丹波国に行きし男、大江山にして縛らるる語(こと)』であるといわれますが、今昔では、盗人に襲われた侍は、「だらしがない」と酷評されますが、死んではいません。
それから、この『藪の中』が、黒澤明の手で映画化された際、尋問を終えた木樵(きこり)が羅生門で雨宿りをしたとき、下人相手に、自分の考える事件の真相を語る場面が、付け加えられました。この部分は、芥川の別の作品である『羅生門』の情景が取り入れられていることは、間違いありません。そして、映画のタイトルは、一部分を受け持っただけの『羅生門』とされました。
どこまでいっても、「これはもう、藪の中だ!」と言いたくなります。
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