入道死去
頼朝軍や義仲軍などによる源氏の反攻で、平氏が深刻な危機に見舞われていた1181年2月、大黒柱の“入道相国(にゅうどう しょうこく)”こと平清盛は、ものすごい熱病にかかっておりました。
軍記物の傑作『平家物語 (巻第六)』は、その病状を次のように生き生きと描いています。
「入道相国は、病いにおつきになった日から水も喉を通らず、体の熱いことは火を焚いているようである。臥せっているところの四~五間(8メートル前後)より内側に入ろうとすると、熱さで耐え難い。……比叡山の千手井(せんじゅい)から冷たい清水を運びおろし、石の船(浴槽)にたたえて、そこに入ってもらったところ、程なく水はわきあがってお湯になってしまった。もしやお楽になるかと思い、筧(かけい;ふしを抜いた竹などを地上に渡して水を通す樋)の水を体にまいてみたが、石や鉄が焼けたときのように、水がほとばしって、体に寄り付かない。たまにかかった水は炎となって燃えるので、煙が屋敷内にみち、炎もうずまいた。」
まことに迫力満点の描写ですが、学校の授業でこれを取り上げると、生徒たちは、ほとんどがゲラゲラ笑います。人の最期を笑うとは不謹慎なことですが、このオーバーな表現に接すると、おかしさが先に立ってしまうらしいのです。
平家物語は、琵琶法師が人々の前で語ったといいます。聞き手は、このあたりにどんな反応を示したのでしょうか。やはり、笑ったと思います。もし、笑いをとろうとしてこんな描写を入れたとすると、「平家」の作者は、相当な“清盛ぎらい”だということになります。
歴史をひもとくと、どの時代にも悪役が登場します。清盛とならぶ逆賊といわれた足利尊氏は、背中の悪性腫瘍で死んだということです。もし、「平家」の作者だったら、これをどう描いたでしょうか。
軍記物の傑作『平家物語 (巻第六)』は、その病状を次のように生き生きと描いています。
「入道相国は、病いにおつきになった日から水も喉を通らず、体の熱いことは火を焚いているようである。臥せっているところの四~五間(8メートル前後)より内側に入ろうとすると、熱さで耐え難い。……比叡山の千手井(せんじゅい)から冷たい清水を運びおろし、石の船(浴槽)にたたえて、そこに入ってもらったところ、程なく水はわきあがってお湯になってしまった。もしやお楽になるかと思い、筧(かけい;ふしを抜いた竹などを地上に渡して水を通す樋)の水を体にまいてみたが、石や鉄が焼けたときのように、水がほとばしって、体に寄り付かない。たまにかかった水は炎となって燃えるので、煙が屋敷内にみち、炎もうずまいた。」
まことに迫力満点の描写ですが、学校の授業でこれを取り上げると、生徒たちは、ほとんどがゲラゲラ笑います。人の最期を笑うとは不謹慎なことですが、このオーバーな表現に接すると、おかしさが先に立ってしまうらしいのです。
平家物語は、琵琶法師が人々の前で語ったといいます。聞き手は、このあたりにどんな反応を示したのでしょうか。やはり、笑ったと思います。もし、笑いをとろうとしてこんな描写を入れたとすると、「平家」の作者は、相当な“清盛ぎらい”だということになります。
歴史をひもとくと、どの時代にも悪役が登場します。清盛とならぶ逆賊といわれた足利尊氏は、背中の悪性腫瘍で死んだということです。もし、「平家」の作者だったら、これをどう描いたでしょうか。
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