最近、小学校1年生の『こくご』教科書を見る機会があり、その色取りの美しさや工夫された内容にびっくりしました。「ピカピカの一年生たち」は、さぞドキドキしながら、頁をめくるのだろうなと思い、なんかなつかしい気持になりました。小学校一年生の国語の教科書、そして特にその最初の頁に接することは、どの世代にとっても、感動に満ちていたと思うからです。
その教科書が、40年余りにわたり国定だった時期がありました。そして、その国語教科書の第一頁をたどると、その時期の日本の歴史を概観できると昔から言われています。
1902(明治32)年のことです。当時は検定で、府県単位で採用していた小学校教科書で贈収賄事件がおき、それに関連して最初に国定教科書が登場したのは、その2年後の1904年のことでした。これが国定第一期教科書である『小学国語読本巻1』です。
その冒頭には、四字のカタカナ「イ・ヱ・ス・シ」に「椅子」・「枝」・「雀」・「島?」の線画が添えてあったため、「イエスシ教科書」とも呼ばれたようです。これは、日本の資本主義興隆期の気分を反映して、なかなか開明的で、「新聞紙」や「停車場」そして、リンカーンやナイチンゲールなど外国のこともたくさん取り上げていました。
日露戦争後、第一期の教科書に対する批判が強まったため、政府は、1910(明治43)年から、第二期教科書の採用に踏み切りました。冒頭に「ハタ(「日の丸」の絵)」、「タコ(凧の絵)、「コマ(独楽の絵)」のあるもので、帝国主義段階に入った日本の状況を反映し、国家主義的色彩の強いものでした。欧米の情報は、ほとんどなくなり、勤勉の象徴であった「二宮金次郎」や「家の紋」・「ソセンヲタットベ」・西洋紙と比較したときの「日本紙」の優秀性などを内容としていました。
そして、日本の国定教科書としては、画期的とも言える第三期時代を迎えます。1918(大正7)年から使われた国語読本は、「ハナ・ハト・マメ・マス」で始まります。「ハナ」は多くの花と特に桜の花びらに一頁費やし、次の頁に鳩や枡を持った男の子、そして、豆をついばむ鳩4羽の絵があります。
この「ハナ・ハト・マメ・マス」教科書は、「アメリカだより」など国際理解をはかる教材や「サルカニ」(10頁)、「モモタロウ」(11頁)などの話に多くの頁を費やすなど、子どもの興味・関心に対する配慮もなされていました。当時の徴兵検査で、判明した壮丁(そうてい=当時、検査対象となった若者の呼称)の学力の低さに対する反省と大正デモクラシーという時代風潮が、第三期国定教科書を登場させたと言えるでしょう。この教科書は、大正生まれ(1912~1926)の人たちが例外なく使ったことも、興味をひきます。
満州事変が始まるなど軍国主義へ傾斜しつつあった1933(昭和8)年、国定教科書は、第四期の時代に入ります。セピア色をした立派な国語読本の冒頭は、有名な「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」、続いて「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」という具合に、文章をかかげて(センテンス メソッド)います。内容的には、神話や万葉集などの古典を重視するなど、臣民としての国民の教育をめざしていました。
1941(昭和16)年、国民学校令により、従来の小学校は廃止され、初等科6年、高等科2年の国民学校がスタートしました。そして国定教科書も「国民ノ基礎的練成」を目的とするものとなりました。この第五期の1年生の国語読本の冒頭は、「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」で、「コマイヌサン ア(阿=口を開いたさま) コマイヌサン ウン(吽=口を閉じたさま)」が続きます。神国観念を身につけた皇国臣民の育成を図る意図が、随所に現れています。
1945(昭和20)年の終戦とともに、それまでの教育のあり方は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって、否定され、教科書にあった戦争教材や国家主義的な頁は、墨で塗りつぶすか、切り取るかして使いました。
1947(昭和22)年、国民学校は廃止され、小学校が復興しました。教科書はどうなったでしょうか? 実はこのとき、もう一度国定教科書が出されたのです。正式には、カウントしませんが、第六期国定教科書です。当然ながら民主主義にもとづいた内容で、多くの欧米人が登場するなど、近代的性格を備えていました。
一年生の『こくご 一』の冒頭には、 「みんな いい こ」というタイトルがつき、 「おはなを かざる みんな いい こ きれいな ことば みんな いい こ なかよし こよし みんな いい こ」という暖かい文章が、ひらがなで綴られていました。二頁にわたる背景の絵の中央には、花のアーチがあり、周囲にも花があふれる中で、11人の男の子や女の子が、花を飾ったり、運んだりしています。線画には、淡い緑の色だけがついていましたが、多くの子どもが、別の色を塗り加えました。どうして、そんなことまで知っているかというと、私=ハム先生は、まさしくその教科書で勉強し、色を塗って怒られた1年坊主だったからです。
その教科書は、まだ、私のところの書棚のどこかに存在するはずです。
国定教科書は、「みんないいこ」に代表されるもので終わり、1949(昭和24)年からは、検定教科書の時代となりました。これは、現在も続いています。
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