第二次世界大戦が、激しさを増した1943年、同盟関係にあったドイツから日本に、二隻の潜水艦(=Uボート)が寄贈されることになりました。そのうちの一隻が、ドイツ海軍の乗組員によって東南アジアの日本の勢力範囲まで、回航されたU511号です。
この潜水艦には、1940年9月の日独伊三国同盟成立時から、ドイツに駐在していた軍事代表野村直邦海軍中将(のち大将、海軍大臣)が、便乗することになりました。
野村中将は、他の追随を許さないドイツ通であり、その帰国は、日本の戦術にも大きな影響を与えるなど、重要な意味をもっていました。
U511号は、目的地とされたペナンに着くまで長い期間、連合軍の哨戒圏(しょうかいけん=敵の攻撃を警戒して見張っている地域)を突破しなければならないため、野村中将の動きは、高度の軍事機密事項でありました。そして、日本の外務省としては、秘密裡(ひみつり)に野村中将の出発の確証を得る必要がありました。
当時、日本の外務省と在独
日本大使館の情報交換は、乱数表(らんすうひょう=0~9の数字を無秩序に並べた表)を用いた
暗号電報に頼っていましたが、戦局の悪化にともない、さまざまな混乱がおこり、信頼できない状態に陥っていました。
野村中将の動きを察知するために、外務省は、実に大胆不敵な連絡方法を採用しました。それはなんと、国際電話で堂々と日本語で話すというものです。ただし、使われたのは、日本人であっても、他の地方の人間にはわからない、早口の鹿児島弁でした。
通話をしたのは、
外務省側:鹿児島県姶良(あいら)郡加治木村出身の人(暗号名は、「カジキ」)、
在独大使館側:鹿児島県日置(ひおき)郡吉利村出身の人(暗号名は、「ヨシトシ」)
の二人でした。
この方法は、野村中将出発前後、10数回行われました。では、最初のころの通話のようすを、吉村 昭氏の『深海の使者』(文春文庫)から引用してみましょう。
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「カジキサー、カジキサー(カジキさん、カジキさん)」
「ヨシトシサー? (ヨシトシさんか?)」
「カジキサー、ノムラノオヤジャ、ハヨ タタセニャ イカンガナ モ タッタケナ~?(ノムラの親爺、早く発たせなくては、いけないが、もう発ちましたか?)」
「カジキサー。ヨシトシノオヤジャ(「ノムラノオヤジャ」という言い方をとっさに変えてます。) モ イッキタツモス。(カジキさん。ヨシトシの親爺は、もうすぐ発ちます。)」
(中 略)
「ヨシトシサー、ヨシトシサー。ヨシトシノオヤジャ モ モグイヤッタドカイ?(ヨシトシの親爺は、もう潜って行かれましたか?)」
「モ モグリャッタ。(もう潜りました。)」
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アメリカの軍事情報部は、もちろん、これらの通話を傍受し、録音盤を作成して検討しましたが、しばらくは内容はおろか、どこの国の言葉かさえ、分からなかったといいます。
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